テルレスとトーマ
Kindle Unlimitedで見つけ、何気なく読み始めたムージル『寄宿生テルレスの混乱』。
寄宿舎の同性愛モノか、とワクワクしながら(萩尾望都の洗礼を受けて以来、大好物なのです)読んだものの、期待を遥かに裏切って暗くて重い作品だった。
読み進めながら、これは『トーマの心臓』に於けるサイフリート側の視点または言い分として解釈すると面白いかも知れない、と思った。
被害者であるバジーニとユーリのキャラクターはかなり違っているが、共に、男子しか居ないギムナジウムの寄宿舎で起きる、美少年を対象としたリンチ事件の話である。
『トーマの心臓』に於いては加害者側の動機について深くは描かれておらず、話自体がリンチ事件の後から始まり、つまり前提としてあった上で進み、後半でその詳細が明らかになる。少女漫画的な美しい絵でその凄惨さ、陰惨さがマイルドにされているが、ユーリの受けた暴行もなかなかのものである。何度も読み返す大好きな作品だが、暴行シーンは胸が痛くなるのであまりじっくり読まずにページをめくるほど・・
『テルレス』は読み返すことは無いような気がする。リンチが何故起こったのか、どのように終結したのか、で話が終わってしまうし、『トーマの心臓』に於けるトーマやエーリク、オスカー等にあたるような被害者を愛するキャラクターが一人も出てこない。少女漫画と比較して明るさや救いを求めても仕方がないのはわかっているが、主人公は思春期のリビドーに戸惑い、哲学し、結局はいじめを傍観していただけ(主人公の内面、心理的な葛藤が軸になった文学作品であるので、その哲学を経て主人公が事件をどう昇華するかが読みどころなのであろうが)。
イヤーな読後感で、似たような題材ならばトーマの方がいいや、と思ったのでした。私は少女漫画が好きなのである。
終始暗いこの作品を読みながら、全寮制の、しかも男子校というのは不自然な環境なのだろう、と思った。このような事件が起こり得るような。同性だけが集められ、隔離される、そんな状態は人間界でしかあり得ないだろう。男子の、特に思春期の性欲というものは凄まじいと聞く。不自然な条件下で、それがこのような屈折した形で発散されたとしても何ら不思議では無い。