内股日記

遠い北国での生活つれづれ

別れの曲と近親相姦

映画 さびしんぼう(1985) をまさに十余年ぶりに観ました。大号泣!

私はいつから打算的な恋愛しか出来なくなってしまったのだろう、と汚い大人になってしまった自分を悲しく思いました。いつかまた私に、純粋に人を恋ることの出来る日はくるのだろうか。

ショパンの別れの曲が全編に渡って効果的に使用されており、物語を盛り上げる。詩的な台詞と音楽とのハーモニーにのまれ、観る者を感涙させずにおかない作品であるが、かなり難解なストーリーであると思う。

 

大人になったヒロキの傍にユリコが居るシーンで終わるのだから、ハッピーエンドと言えよう。だが、これは紛れも無い悲恋物語である。それも、母と息子の。

別れの曲に日本語歌詞をつけたものをヒロイン役の富田靖子(めちゃくちゃ可愛い) が歌っている。

 

セルジュゲンスブールが、ダイレクトに”lemon incest” とタイトルをつけて同曲を実の娘と歌ったのは、前年の1984年であった。奇遇である。

近親相姦はタブーであるから、母親と息子、父親と娘の間に生まれる淡い恋心のようなものは、「別れの曲」に乗せて歌われる。息子、娘が成長すれば別れることを前提とした、理性的な、束の間の恋愛である。理性的なゲンスブール、と表現すると何だか可笑しい気もするが、近親相姦のイメージで遊んだアルバムで実の娘と歌っているだけでも、充分スキャンダラスである。

その名盤に含まれた一曲、”Charlotte forever”と同名の映画でも、二人は危うい親子関係を演じていたように思うのだが、何分、観たのが10年以上前なので、内容をはっきりと思い出せない。改めて観てみたいと思う。

同じ頃に鑑賞したっきりであったさびしんぼうの方は、解釈の難解さにも関わらず、数年たってもクライマックスシーンを思い浮かべるだけで涙腺が緩むほど私の心を掴んだので、軍牌はこちらに上げたい(大林作品とゲンスブールではスタイルがかなり異なるが)。

 

さて、こんなタイトルをつけると偉大なショパンに怒られるかも知れないが、同時代に日本とフランスで同じようなテーマの曲として別れの曲が使用され、30年以上経った今も多くのファンに愛される作品となっている事実に、単純に驚く限りである。f:id:anomalocariiis:20180722110125j:image