内股日記

遠い北国での生活つれづれ

ボヘミアンラプソディ(2018)米

鑑賞者参加型(手拍子、歌ok)の公演もあるとのことで、これはやはり、映画館で観るべき作品だと思う(我々は通常版を観賞)。

 

2h15minという長編であったが、長さを全く感じさせないほど展開が速く(音楽のシーンも見どころであるし、クイーン結成から再結成後のライブまでが描かれていて、情報量が多い)、退屈することなく引き込まれたまま観終わった。

一言でこの映画を表現するなら、ミュージシャンであったフレディマーキュリーの、彼の音楽も楽しめるように作られた伝記的映画ということになろう。私は、少々ききかじった程度ではあるがクイーンのファンであるし、音楽を楽しむことが出来、また全く新しい情報であるフレディの私生活についても知ることができ(故人のスーパースターである彼を讃える趣向の作品だった為、細かい部分がどれだけ事実に忠実なのかは判らない)非常にたのしんで観賞した。

ただ、これが全く知らないバンドについての話であっても楽しめたかと考えると、少々疑問である。ハリウッド映画は技術を駆使して作られるエンタメであり、芸術性に乏しいのは常である。どうせなら、ロッキーホラーショウにような、完全な視聴者参加型の方向に振り切っても良かったのではとも思った。

 

ともあれ、クイーンのライトなファンである私は、この映画を多いに楽しんだ。危うく感涙しそうになった程である。

この映画でメアリーという女性の存在を知り、フレディがイメージに反して(飽くまで私の)とても繊細で、強いコンプレックスをもった人であったことも知った。この2人の関係性は素晴らしいものであり、我々の知るスーパースターの影に、メアリーが彼の精神的な支えとして大きく貢献していたのであろう。

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パンフレットもちゃっかり購入!

不安定で繊細な心の持ち主の方であるからこそ、フレディはこんなに魅力的なアーティストだったんだな、と思いました。

1999年の夏休み 感想

『トーマの心臓』を期待して観た所為か、少しがっかり。金子監督が触発されて撮った別の作品と考えた方がよいだろう。

『トーマの心臓』にあるような、文学的、哲学的、また心理学的な深みは感じられなかった。『トーマ•••』の構図を使って撮った、監督のメランコリック、ノスタルジックな空想物語の映像作品と言っていいだろう。しかし、これ程『トーマ•••』を意識させる作品(萩尾望都から許可を得たとのこと)でありながら、本家とくらべて内容としてかなり底の浅いものを撮るというのには、監督のクリエイターとしてのプライドを疑ってしまう。

美しい映像にマッチした音楽は良かった。少年愛の作品を少女たちに演じさせ、その脚にはガーターベルトがついているというのもフェティッシュで倒錯的で、良い。

 

もう一度書くが、これは『トーマの心臓』とは全く別の作品である。この作品では、トーマにあたるユウ、エーリクにあたるカオルは同一人物で、死んでもまた転生して鉄道に乗って学院に戻って来、他の少年たちと夏休みを繰り返すのである。一寸したホラー作品とも言えよう。

 

心を閉ざしていた和彦がカオルを愛するようになる(心中できるほどに!)迄の経緯が充分に描かれていないこと、また『トーマ•••』のエーリク同様マザーコンプレクスをもち、「僕は他の子より速く大人になって、それまで母さんの時間を止めておきたい」などと言っていたカオルが、和彦を心中に誘う時には「子どもの時間が一番すばらしいんだから、子どものままで一緒に死んで、また生まれてこよう」などと発言する矛盾点、なんだか腑に落ちないところが目立った。ナレーションの老男性の声、「1999年の夏休み、まだ昨日のことのように思い出せる」というような内容だが、ユウが転生を続ける限り夏休みは終わらなそうな気がするのだがどのように決着がついたのだろう、という疑問も残る。

 

ただ、作品のムードは好きなので、理解を深める為にももう一度みるつもりである。

 

その前に観たいのは、萩尾望都が観てインスピレーションを受け、『トーマの心臓』が産まれたという仏映画、「悲しみの天使」!

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最近、再読した『メッシュ』の中の一コマ。

構図として、メッシュがユーリ、ミロンがオスカー、またはエーリクにあたる。

この2人の関係性、凄く好きなだけに、意味深なラストシーンには暫く落ち込みました。

 

@コスメ退会

美容オタクなので、@コスメは読んだり書いたりして楽しんでいました。

 

先日、某フェイスパウダーに☆3をつけ、正直な感想を書き、♡(役に立った)を4つほど貰っていたのだが、、、

今日その自分の口コミを見ようとしたら、見事に削除されている!並ぶのは、☆4つ以上の高評価な口コミばかり。

@コスメは以前からサクラの噂などがあったが、こういう明らかな情報操作を目の当たりにしてしまうと、もう信じられない。口コミを信用することも出来ないし、また今後、自分が書こうとも思わないだらうということで、退会した。

 

私の楽しみの一つであったので、残念です。

 

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@コスメでも周りでも評判の良いこちら、ブルーを愛用中です。

これからは自分と、周りでの評判を参考に化粧品購入しよーっと。

楽しかったのにな、口コミサイトと銘打った、企業の広告掲示板に過ぎなかったなんて。

別れの曲と近親相姦

映画 さびしんぼう(1985) をまさに十余年ぶりに観ました。大号泣!

私はいつから打算的な恋愛しか出来なくなってしまったのだろう、と汚い大人になってしまった自分を悲しく思いました。いつかまた私に、純粋に人を恋ることの出来る日はくるのだろうか。

ショパンの別れの曲が全編に渡って効果的に使用されており、物語を盛り上げる。詩的な台詞と音楽とのハーモニーにのまれ、観る者を感涙させずにおかない作品であるが、かなり難解なストーリーであると思う。

 

大人になったヒロキの傍にユリコが居るシーンで終わるのだから、ハッピーエンドと言えよう。だが、これは紛れも無い悲恋物語である。それも、母と息子の。

別れの曲に日本語歌詞をつけたものをヒロイン役の富田靖子(めちゃくちゃ可愛い) が歌っている。

 

セルジュゲンスブールが、ダイレクトに”lemon incest” とタイトルをつけて同曲を実の娘と歌ったのは、前年の1984年であった。奇遇である。

近親相姦はタブーであるから、母親と息子、父親と娘の間に生まれる淡い恋心のようなものは、「別れの曲」に乗せて歌われる。息子、娘が成長すれば別れることを前提とした、理性的な、束の間の恋愛である。理性的なゲンスブール、と表現すると何だか可笑しい気もするが、近親相姦のイメージで遊んだアルバムで実の娘と歌っているだけでも、充分スキャンダラスである。

その名盤に含まれた一曲、”Charlotte forever”と同名の映画でも、二人は危うい親子関係を演じていたように思うのだが、何分、観たのが10年以上前なので、内容をはっきりと思い出せない。改めて観てみたいと思う。

同じ頃に鑑賞したっきりであったさびしんぼうの方は、解釈の難解さにも関わらず、数年たってもクライマックスシーンを思い浮かべるだけで涙腺が緩むほど私の心を掴んだので、軍牌はこちらに上げたい(大林作品とゲンスブールではスタイルがかなり異なるが)。

 

さて、こんなタイトルをつけると偉大なショパンに怒られるかも知れないが、同時代に日本とフランスで同じようなテーマの曲として別れの曲が使用され、30年以上経った今も多くのファンに愛される作品となっている事実に、単純に驚く限りである。f:id:anomalocariiis:20180722110125j:image

紳士は金髪がお好き

マリリンモンロー主演の映画を初めて真面目に観た!

この人の魅力は、美しい顔、豊満な肉体、そして声だ。この美貌、それでいて少女の様な舌ったらずな喋り方をしたモンロー。このギャップが、数多の男たちを虜にしたのだろう。女(に限らないが)を構成する要素として声はとても大事だと再認識した。そして、そう意識してる生きよう、と思わせられた!

 

モンロー演ずるローレライと親友は、劇中歌でハッキリとこう歌う。「女はいつか老いる。ダイヤモンドは、どんなカットでも永遠に輝く。だから女の一番のお友達はダイヤモンドなの」

 

自分たちの若さが永遠で無いことなどスッカリ解って居て、人生で一番うつくしい時期にあるであろう、その魅力的なバストやヒップを惜しげなく利用、強調し、男たちを手玉にとって宝石等を得ることをゲームの様に楽しんでいるローレライ。

 

結婚してしまった今、もう新しい恋などする気もなかったが、恋愛したくてウズウズしてきた。ひとところに落ち着いてしまうなんて、わたしの性に合わないのかも知れない。どれくらい続くんだろう、この結婚生活、、、。

 

内容としてはコメディで、ローレライと親友ドロシーが其々の相手と結婚して終わる。ローレライは明らかに夫となる男の資産めあてで結婚する(義父となる男に、そうはっきり言っていた)。「美しく若い女は金持ちの男に相当するのよ」とさえ豪語する。

遊んで暮らしたい女は、モンローを見習うべきだろう。自立した女性が多い今の時代、この例に当てはまらない場合も多いだろうが。

別に出戻ったってバツがついたって構わないんだから、わたしもずっと女で居よう。人生を、遊ぼう。最近、女で在ることをサボってたな、と思った。

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手始めに、アユーラを試してみようかな。

外資系のスキンケア用品は、わたしの肌にはどうも刺激が強いようだ、、

甘い蜜の部屋 モイラの匂いはhauschkaのにおい

森茉莉が還暦を過ぎてから書き始めたという、多分に自己を投影していると思われる、恐ろしく魅力的な美少女の話。

 

三部に分かれて居て、分厚い長編だが、繰り返しの描写が多い。例えば、主人公モイラの体から発する、嗅ぐ者を狂わせる、植物性の香りについて。人間の皮膚から植物性の、百合の茎をポキっと折った後の様な匂いがするとはどういうことだろう、モイラが体を拭く水に入っているオオドゥコロニュの香りなんだろうか?と少し疑問に思いながらも、このファムファタルは体臭まで官能的なんだな、と彼女を形作る魅力の一つとして捉えて居た。

もう三度は読み返した、お気に入りの作品である。

先日、思いがけなくモイラの匂いに出会った。Dr.Hauschkaの洗顔ミルクの香りである。まさに純植物性、という感じで、嗅ぐと気が遠くなるような、遠い遠い記憶の中の何かを思い出しそうで思い出せない、そんな何とも言えない良い香りである。わたしの中のモイラのイメージスメルは、Dr.Hauschkaで決まり!

 

所謂「父の娘」の作品は、これしか読んだことがないが、最強だな、、という印象。産まれて直ぐに母親を亡くしたモイラは、父、林作の創造物である。林作は謂わばモイラの神である、モイラを愛して止まない、神である。社会的地位のある父親に全てを肯定されて美しく育っていくモイラは、内省することなど先ず無く、当たり前のように自信をもって、ふてぶてしい振る舞いをする。幼い頃から、神である林作によって、「モイラは上等」と刷り込まれてきたからである。モイラの性格や林作との関係は、森茉莉本人のものとそう変わらないだろう。

 

わたしの父は相当に厳しく、褒められた記憶として思い出せるものは数えるぐらいしか無い。であるから、モイラの性格や、エッセイ等から垣間見える森茉莉の性格は、わたしのそれとは真逆で、とても魅力的に映る。恋愛の面に於いても、わたしが相手に父性の様なものを求める傾向にあるのは、10代までの父親との関係が大きく関係していると思う。森茉莉はこうでは無かっただろう、幼いころから神である鷗外に赦され、愛されて居たのだから。

 

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実家の猫。

モイラは猫っぽい。

猫の蠱惑的な感じはモイラっぽい!

 

 

火サス 受験地獄(1982)

ひいごろみ似の東大受験生が試験日当日に寝坊してしまい、「爆弾を仕掛けた」とTELすることで開始を遅らせ、それをネタに合格後、落ちた受験生にゆすられるというお話。

 

まず火サスって35年前からあったんだな、と。子どもの頃、放課後テレビをつけたらやっていて(恐らく再放送?)あまり興味も湧かないので他のことをしながら流しっぱなしにしていたなあ、わたしにとって火サスの思い出はそんなもの。でも80s初期の火サスは何となく趣きがありそうなので、みてみた。

 

五月祭のシーンで聖子ちゃんの「少しずつ春」が流れて興奮!しかも、少しずつ春 なんてシングルA面じゃなかったのに、ほんと聖子は、この時代、無敵だったんだわ!!!嗚呼こういう世相の頃、聖子ちゃんはハタチで全盛期だったんだなー!とストーリーそっちのけで感動した!

 

この話には、二人の女が出てくる。郷ひろみ似の俳優演ずる木村が恐らく浪人生になってから知り合ったのであろう、飲み屋で働く小説家志望の京子(神保美喜22歳)、そして木村と同郷で、東大エリートコースを進むであろう彼に今のうちからツバをつけておこうとする馴れ馴れしい女、ますみ(倉田まり子)。 京子の方が幾らかいい女ではあるが、やはりこんな台詞は言う:「東大でて官僚になったら結婚してね。奥さんとしてはやっぱり短大ぐらい出ておいた方がいい?」。 ますみにいたっては打算見え見えで吐き気がした。更に、木村の田舎の空気。古風なヤマトナデシコ風の母親。

 

男に頼って生きるのが女にとって普通だった時代に、自分のパフォーマンスで稼ぎ自由に生きることを選んだ聖子は何て格好いいんだ! なんだか聖子ちゃんを褒めたいだけのレビューの様になってしまったが、ふつーに面白かった。

 

落ちた男は本当に自殺だったのか? 京子は、ただ発見しただけだったのなら、「私にはもう何も無い」なんて何故? 小説家の夢は?

小説家志望の京子なら優れた殺人シナリオで自ら動くことも出来そう、と観る者は当然、思う。

兎に角、始終、木村にイラつきっぱなしの1時間強だった。 京子を追いかけて謝って自首しろや、阿呆!

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写真は、前回に続き聖子ちゃん。

姿見の上部に留めてある、夏の扉。

この北国では既う冬の気温だが、毎朝ここで髪をとかすときは、フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ! なのである。